「山崎の戦い」について。

2020年06月11日

 6月13日は、何の日かご存知ですか?

天正10年(1582年)6月2日の「本能寺の変」をうけ、6月13日に摂津国と山城国の境に位置する山崎(京都府長岡京市乙訓郡大山崎町)において、備中高松城の攻城戦から引き返してきた『羽柴秀吉』軍と織田信長を討った『明智光秀』軍が激突した戦いがあった日です。

 

 古来、天王山の戦いと呼ばれてきた合戦で、現代的表現で「山崎合戦」とも呼ばれます。

羽柴秀吉は、高松城にこもる毛利軍を包囲していましたが、6月3日に「本能寺の変」の報を入手した秀吉は、ただちに毛利軍と和議を結びました。

 

 ここから有名な≪中国大返し≫と呼ばれる早さで、畿内へと戻ったのです。

結果は、皆さまがご存知の通りです。

光秀は、居城の坂本城を目指して落ちのびる途中、小栗栖の藪(京都市伏見区 現在は明智藪と呼ばれる)で、土民の落ち武者狩りにあいました。

 

 光秀の首は翌日には羽柴軍に届き、京都の本能寺、次いで粟田口に晒されました。

 

 今、テレビでは【麒麟がくる】が放映されています。

6月7日の放送では、「桶狭間の戦い」に織田信長が勝利したところで終了しています。

これから物語は、まだまだ興味深い内容が次々とあります。

 

 放送は、一時中断となりました。

大河ドラマでは、初の越年の放送も決まったようです。

歴史に興味のある方は、ご覧になってください♪