関ヶ原の戦い!!

2021年09月16日

 関ケ原の戦いは、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ケ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦です。

 

 豊臣秀吉の死後の権力をめぐり、石田三成が率いる西軍と徳川家康が率いる東軍が戦いました。

兵力は西軍が85000人、東軍が88000人と差はほとんどありません。

初めは石田三成や大谷吉継(おおたによしつぐ)、宇喜田秀家(うきたひでいえ)により西軍が有利に戦いを進めていました。

 

 しかし、小早川秀秋(こばやかわひであき)の裏切り、毛利家を中心とした西軍の主力部隊が戦に参加しなかったので、西軍は不利な状況に追い込まれてしまいました。

 

 勢いを増した徳川軍により西軍は総崩れとなり、わずか一日で東軍の勝利となりました。

西軍からは小早川秀秋を筆頭に、脇坂安治・小川祐忠・赤座直保・朽木元綱と裏切りがありました。

東軍に事前に内通していて西軍の情報を流した吉川広家は、代表的な存在です。

 

 では、逆に東軍から西軍へ裏切った武将です。

一人目の田丸直昌は、美濃国の岩村城城主でした。

二人目は遠藤胤直です。

三人目は人気の武将である真田幸村とその父である真田昌幸です。

 

 さて、岐阜県の不破郡関ケ原町は岐阜県の南西、滋賀県との県境にある町です。

関ケ原古戦場跡や石田三成が本陣を敷いた笹尾山、小早川秀秋が本陣を敷いた松尾山など、関ケ原の戦いに関する数多くの名所があります。

 

 興味がある方は、調べて下さい。