野口英世の生涯。
2021年05月24日
野口英世の生涯。
1928年5月21日は、野口英世が亡くなった日です。
野口英世は、千円札の肖像になっています。
発行開始は平成16年(2004年)11月1日になります。
2024年(令和6年)には、北里柴三郎にかわることが決まっています。
野口英世は、1876年(明治9年)11月9日に、福島県耶麻郡三ツ和村(現:耶麻郡猪苗代町)に生まれました。
黄熱病や梅毒の研究で広く知られています。
野口英世は、幼名は清作といいます。幼いころに左手に火傷を負ってしまい百姓になることができなくなり、学問で身を立てるために勉学に勤しんでいくことになります。
ガーナのアクラで黄熱病を研究していましたが、逆に黄熱病にかかり51歳の生涯を閉じました。
この時の経過を見ると、5月13日に黄熱病と診断されアクラのリッジ病院に入院しました。
見舞いに来たヤング博士に(一度罹ったら二度と罹らないはずの黄熱病に再度罹ったのを不思議に思って)「どうも私にはわからない」と発言しています。
そして、この言葉が最後になりました。
6月15日、アメリカ・ニューヨークのウッドローン墓地に埋葬されています。
日本銀行券の肖像として選択されたことのなかった科学者を採用することになり、学校の教科書にも登場して知名度の高い文化人の中から、野口英世が採用されて千円札の顔になったのです。
また、「遠き落日」(とおきらくじつ)という映画が1992年に公開されて、野口英世と母親の姿が描かれています。
興味のある方は、ご覧になってください。