板垣退助襲撃事件について。

2020年04月06日

 1882年(明治15年)4月6日、岐阜で自由党党首「板垣退助」が暴漢に襲われました。

板垣退助遭難事件、岐阜遭難事件とも言います。

 

 <板垣死すとも自由は死せず>という有名な言葉をご存知ですか?

襲撃を受けた時に叫んだと言われています。

しかし、板垣自身が後に「アッと思うばかりで声も出なかった」とも書いてあり、諸説あることがわかります。

文章として登場したのは、4月11日の大阪朝日新聞の「板垣は死すとも自由は亡びませぬぞ」と叫んだという記事です。

 

 後の報知新聞の取材によると、この<板垣死すとも自由は死せず>のことばは、「内藤魯一」が事件後に叫んだ言葉であり、内藤が板垣が叫んだことにしたという。

他にも説があり、板垣本人がよく似た言葉を襲撃された際に叫んだという。

 

 また、土佐弁で叫んだとか「痛い、医者を呼んでくれ」といったとも言われています。真実は、どうなのでしょうか?

 

 そこで、偉人が襲われた時にどんな言葉を残しているのか、ちょっと気になりました。

あげてみますねぇ~

 

 伊藤博文は、ハルピン駅で暗殺されました。

打ったのが韓国人と知ると、「バカな奴だ」と言ったとあります。

 

 犬養毅が五・一五事件で暗殺された時の言葉は有名です。

「話せばわかる」です。

 

 他にも襲撃された偉人はいると思いますが、残ったことばはあまり聞きません。

最後のことばを残せなかった人のほうが多いのかもしれませんね。