三宅島の大噴火。

2021年08月26日

 今日は、三宅島についてお話をいたします。

島名の由来は、いくつかあります。

事代主命(ことしろぬしのみこと)が三宅島に来て、付近の島々を治めたという伝説から宮家島といった説。

8世紀に多治比真人三宅麿が流されたことから三宅島とした説。

火山が噴火する御焼島に由来する説などがあります。

江戸時代は流刑地で、江島生島の事件の役者で生島新五郎などの墓があります。

 

 三宅島は、東京の南約180kmに位置する火山島で、伊豆七島の中では伊豆大島と並んで活動的な火山としてよく知られています。

三宅島の噴火について見ていきます。

 

 三宅島の火山活動による災害記録は、1643年の噴火から始まっています。

1643年(寛永20年)3月31日の噴火は、3週間続いています。

 

 1962年(昭和37年)8月24日の噴火は、22時40分に雄山山頂と赤場暁を結ぶ山腹で起こりました。

割れ目状にできた多数の火口から溶岩を海中にまで流出しました。

噴火活動は30時間で終わりました。

 

 この噴火の特徴は、激しい地震活動を伴った点です。

噴火中から有感地震が頻発し、8月30日には2000回以上に達した集落もありました。

島民は極度の不安に落ちいりましたが、地震は年末にかけて次第に収まりました。

 

 三宅島への交通は、東京竹芝から東海汽船が1日1往復しています。

また、調布飛行場から三宅島空港へ新中央航空の飛行機便が1日3往復就航しています。

 

 新型コロナウイルス感染が完全に落ち着いたら、行ってみるのはいかがですか。