大日本私立衛生会伝染病研究所の設立。

2020年11月30日

 1892年11月30日、東京・芝に北里柴三郎が大日本私立衛生会の伝染病研究所の所長に就任しました。

 

 北里柴三郎は、熊本医学校(現 熊本大学医学部)、東京医学校(現 東京大学医学部)で医学を学び、内務省衛生局に入局、32才でドイツに留学して病原微生物研究の第一線で学び、破傷風菌の純粋培養、毒素に対する免疫抗体の発見。

血清療法の確立といった世界的な業績をあげました。

 

 39才で帰国しましたが、当時の日本には北里を受けいれる機関がなかったのです。

日本の宝といえる優秀な研究を埋もれさせてはならないと、福沢諭吉らが私財を投じて設立したのが日本初となる伝染病研究所でした。

 

 東京・芝公園内の研究所で柴里は12年間初代所長として務めました。

以後、日本における伝染病、免疫の研究を牽引、赤痢菌を発見した志賀潔など、細菌学研究に重要な役割を果たした研究者も多く在籍しました。

 

 1899年(明治32年)、国に寄付されて内務省管轄の国立伝染病研究所となり、1906年(明治39年)現在の港区白金台に新築移転の後に1914年(大正3年)に文部省に移管、東京帝国大学附置伝染病研究所を経て、1967年(昭和42年)に現在の「東京大学医科学研究所」となりました。

 

 付属病院が併設されがんや免疫疾患、その他の難治疾患を対象にした最先端の研究が進められています。

 

 しかし、北里は文部省管轄時に研究所が東大の下部機関となることに賛成できず、新たに私立「北里研究所」を設立しています。

 

 1914年(大正3年)に建造された北里研究所の本館は、現在、愛知県の博物館明治村に移築されています。